Page: 2/119  << >>
一期一会

 正月休み中、ある方と出会った。同じ四国の高知市出身の方で高知の親善大使をされているとの事で、現在はスペインのマドリードに仕事でおられる。大手の旅行会社で仕事をしていたようだが自分で独立してスペインでの現地法人を立ち上げ社長をされている。スペインの南の方の都市と高知市の友好姉妹都市をこの方が結んだという。サッカーの熱烈なファンで、レアルマドリードのホームスタジアムであるエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの年間指定席を持っているようで、月に16万〜17万かかるようであるが、現在その席を予約しようと200人以上が待っているという。普通に考えると生きてる間には取れないと思うが多分何か策をされたのであろう。自身の息子さんもサッカーを現在、レアルの下部組織に在籍されて選手兼指導もされているという。ただ残念ながら、レアルにもバルサにも日本人選手が居ない。せっかく楽天がビッセル神戸にイニエスタやビジャを呼んでプレーさせても日本人選手にパスを出しても答えられない現状であると嘆いておられた。技術的にも戦略的な理解もできてないとのことである。J1の上位チーム、もしスペインリーグではどれ位の力があるか聞くと、2部でも厳しいという。この社長さんもスペインと日本サッカーを何とか結びつけて強くしようと試みている。レアルからコーチをわざわざ呼んで日本人選手に教えたりとレアルの幹部の方はよく知っておられるようである。早くスペインリーグで日本人選手の活躍を見たいものである。

| 後藤田歯科医院院長 | 20:17 | comments(0) | - | pookmark |
令和元年

 令和元年も、もう残り1週間である。今年も災害の多い年であった。政府が来年度の予算を発表したが102兆円と相変わらず過剰な予算を計上し赤字をたれ流している。どんどんと借金は膨らんでいる。やはり日本人が総理ではこの赤字解消は無理ではないか。日産のゴーンさんはいい面もあれば悪い面もあったが、潰れかけてる日産を立て直した人である。大胆な実行力は日本人には無いかもである。どの人もそうであるが一人の人がトップに居座るのはダメである。私利私欲が出てしまう。そろそろ気が付かないと手遅れになってしまう。嫌な事は先送りにしてしまうのが日本人であり官僚らである。さあ、来年はどの様な年にになるのか?皆さん、よいお年を。

| 後藤田歯科医院院長 | 18:04 | comments(0) | - | pookmark |
なぜ賀茂一族が奈良の葛城山を離れたのか?パート2

 鴨一族が雄略天皇に追い出されて、結局は全国に散らばってしまった。ただ天皇が悪い訳ではなく、その後に糸を引いている者がいた。あの大化改新の時と同じ中臣(藤原)の連中である。藤原という姓は鎌足の死後天皇から頂いたもので中臣一族がすべて藤原に変ったわけではない。鎌足の次男の不比等が藤原の姓を継いだ。長男は出家したので。多分賀茂一族が力を持ちすぎた為、危機感を感じたのだろう。追い出しに計る。あの菅原道真公の時も同じである。裏で画策して自分の都合のいいようにしてきた。忌部の時も長屋王の時もである。やり方は共通している。天皇を傀儡にして藤原の世を長い期間作ってきた。日本の歴史を語る時には、この藤原を抜きにしては語れない。

| 後藤田歯科医院院長 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
なぜ賀茂一族が奈良の葛城山を離れたのか?パート1

 奈良の御所市にある高鴨神社がある。通称上鴨社と言われている。この市内に、あと鴨都波神社(中鴨社)と御歳神社(下鴨社)がある。いずれも鴨一族が作った神社であり高鴨神社の宮司様も言っておられる様に、渡来系民族であるこの一族は争い事はしない。かなりの霊能力を持った者が多い。しかし雄略天皇に追い出されてしまった。一族の長である多分鴨建角身命様だろうと思われるが、毒を盛られて殺されてしまった。八咫烏とも言われている方である。人に道案内をさせて天皇に尽くしてきたのに、最後は殺されてしまうという悲劇の部族であるが追われた先でも非常に高い色々な技術(医薬、土木、農業、養蚕、紡績等)を持っていたので、その土地の民には喜ばれその土地は栄えていった。あちこちに神社を作っていった。流れていったその先に地名にもカモがつく所は多いが、岐阜に美濃加茂市があるが元は賀茂一族である。

| 後藤田歯科医院院長 | 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
岡田鴨神社

 京都の南の方奈良に近い所に加茂町がある。その加茂町に岡田鴨神社があり行ってみると本殿が2つ並んであり向かって右側が鴨神社で左側が天神さんである。というのが以前には鴨神社はここから少し離れた木津川の近くにあったが水害が頻繁に起きた為この天満宮に引っ越してきたようである。とりあえず間借りしていたらずっとこちらに祭られるようになっていったので2つ並んでいるというのである。岡田というのはここの地名である。お参りしていると若い宮司様が出てこられこの神社の歴史やいろいろな事をお話ししてくれた。やはり加茂一族は奈良の葛城の峯近辺にいたがその後こちらの山城の岡田鴨神社に移られその後、木津川を利用して京都市内や全国に散らばっていった。そうせざるを得なかった理由がある。

| 後藤田歯科医院院長 | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

Calendar

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
<< February 2020 >>

Search

Entry

Comment

Trackback

Archives

Link

Profile

Others

Mobile

qrcode

Sponsored Links