Entry: main  << >>
信長には黒人の家臣がいた?パート2

 例の本能寺の変の際には弥助もこの寺に泊まっていた。光秀の襲撃の時は二条新御所に行って異変を知らせ、信長の長男の信忠を守る為に明智軍と戦ったが投降して捕まってしまった。明智の家臣にこの時は、案外素直に刀を差し出した。この後、光秀は黒奴は動物で何も知らず又、日本人でもない故これを殺さずと処刑はせずに「インドのパードレの聖堂に置け」と言ったらしい。パードレとは父、この場合は神父さんの事で南蛮寺送られる事になった。殺されずに済んだのである。光秀にとっては比叡山の焼き打ちとかで散々信長の命を聞き入れ、殺すのが嫌だったのだろう。弥助に情けをかけたようだ。その後の消息は資料には何も書いていないのでわからないが宣教師に連れられ欧州に行ったのかもしれないし、日本に居て余生を送ったのかもしれない。

 

 

| 後藤田歯科医院院長 | 17:45 | comments(0) | - | pookmark |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | 17:45 | - | - | pookmark |
Comment








Calendar

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>

Search

Entry

Comment

Trackback

Archives

Link

Profile

Others

Mobile

qrcode

Sponsored Links