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四国八十八ケ所(逆打ち)パート

 お大師様が作った八十八ケ所を1→88を回るのが順打ち88→1を逆打ちと言う。いわゆる88番札所から逆回りで巡礼する事であるが、映画で「死国」の影響で逆打ちすると死者が蘇ると思っている方もおられる。これは板東真砂子さんの小説での事で実際にそんな事は聞いた事がない。地元でもあまり逆打ちは進めない。というのも逆打ちで回る方がかなりしんどいらしい。道も険しく時々通行止めになっている所もある。この打つというのはお寺に参拝した時に木の札を釘で打ちつけるので、これが本来の作法であるが現在ではこれは禁止されている。今は自らの紙の札を納めるようになっている。

| 後藤田歯科医院院長 | 16:39 | comments(0) | - | pookmark |
デビルマン

 久しぶりに実家に帰ると徳島の駅近くのビルにあのデビルマンが座っているというのである。高松の義弟が教えてくれたのだが確かにビルの屋上に座っている。(写真参照)あの永井豪のマンガの歌のエンディングのように。

 


 

車中からの撮影で、遠いのと少しぼやけています。

 

| 後藤田歯科医院院長 | 15:13 | comments(0) | - | pookmark |
コロナウイルス(疫病)

 こういう感染症は今に始まった事ではないが、南米ではスペインやポルトガル人の大陸征服により疫病による文明、部族が消滅したという説がある。又、北米のアメリカ大陸でも先住民族であるインディアンが戦争よりも伝染病(ヨーロッパの移民による)が原因で一部の部族が無くなってしまうということもあった様である。コロンブスのアメリカ大陸発見以来200年も経たないうちに先住民族であるインディアンは、人口の95%減少してしまった。白人が持ち込んだ新しい病気で免疫のない先住民は死滅した。その後も1837年にもセントルイスからミズーリ川一帯で白人が持ち込んだ天然痘によりマンダン族インディアンの間で広がった。2000人の人口がが一気に40人まで激減したという記録がある。致死率95%である。致死率50%のエボラ出血熱よりもひどい。ただ、ひとつ気になる事が天然痘でも血液型がB型の人だけかかりにくいという記録がある。天然痘に強い免疫をもっているようである。理由はよくわからない。疫病退散となるとあとは神頼みであるがこれは八坂神社のご祭神である牛頭天王である「蘇民将来」の逸話にある様にウイルスから守っていただけます様に。

| 後藤田歯科医院院長 | 19:42 | comments(0) | - | pookmark |
正暦寺

 奈良市内中心地から南へ数辧東南の山麓にあり菩提仙川に沿ってこのお寺はある。驚いたのはお寺でお酒を販売している。今迄、お寺はあちこち巡ってきたが初めてである。そのはずで、どぶろくのようなにごり酒を清酒(透明なお酒)にしたのはここが発祥である。受付で僧侶の方が色々とこのお寺についてお話しをしてくれた。992年に一条天皇の命により創建されたが興福寺の末寺にあたり、お寺の運営となると何か利益の出るものは何かと考え、本来は禁止されていた酒造りではあるが神仏習合という流れの中で、神様、仏様に献上する御酒として自家製造された。ここの初代住職として東寺の別当が選ばれている。東寺の長者様である砂原様には岡山の温羅様の件で観音様を建立させて頂きお世話になったというと、その僧の方は「ああよくわかります。」と言ったのでなぜご存じでしたかと問うと、その僧侶の奥様が岡山県の総社市の出身で鬼ノ城や吉備津彦神社はよく行きましたと言う。以前は興福寺の配下になった為、南都六宗であったが現在は真言宗であるので同じ宗派として、東寺の事はよく知っておられるのであろう。正暦寺で創製された酒母(もと)は酸を含んだ糖液で培養するので、その酸により雑菌が殺されアルコールが防腐剤の役割を果たすという巧妙な手法がとられており、これは日本酒造の一大技術革新であった。仕込みを三段仕込みから四段、五段と発展し南都諸白という名で親しまれ「菩提泉」となった。本堂には孔雀明王がまた、護摩堂には大きな不動明王様がおられる。紅葉の時期にはもみじが大変美しいらしい。又、秋にでも来ようと思う。帰り際に百楽門という純米大吟醸を買っていった。あと酒かすのみで漬けた奈良漬けも買ったが美味しいかどうかはわからない。

| 後藤田歯科医院院長 | 13:07 | comments(0) | - | pookmark |
尾張氏

 「尾張名護屋は城でもつ」現在の愛知県(尾張)は元々尾張氏は、大和(奈良)から派生したものである。古代、尾張氏は愛知県の西部を支配していた豪族である。以前に賀茂一族の事を調べていたら尾張氏族の事も書いてあった。尾張氏の祖神である天香山命、天牟良雲命、天背男命らは饒速日(ニギハヤヒ)命の東遷により九州の筑紫から大和にやってきた。大和での尾張の本拠地は高尾張で現在の奈良県の葛城山の麓である。尾張の尾は「丘」、張は「墾(はる)」でこの葛城山の麓の高台を開墾して住居とした。大和の尾張氏はやがて東海地方へと移り尾張国を作っていった。尾張氏は、崇神天皇の時代までこの葛城地方にいたと思われる。尾張氏は代々天皇に娘を嫁がしてい氏族である。これは、藤原と同じで天皇に近づき政権を取るという手段である。このことによりかなり大きな氏族に発展していった。

| 後藤田歯科医院院長 | 18:06 | comments(0) | - | pookmark |

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